
福井県勝山市に鎮座する「平泉寺白山神社」は、養老元年の開山から1300年以上の歴史を紡いできた由緒ある古社です。
かつては白山信仰の越前側拠点として、日本最大級の宗教都市を形成するほど隆盛を極めました。現在は、一歩足を踏み入れると、一面を覆う深緑の苔と天高く伸びる杉木立が織りなす、静謐で幻想的な光景が広がっています。

その息をのむような美しさは「苔の社」と称されるにふさわしく、今も訪れる人々を清らかな静寂で包み込んでいます。
【平泉寺白山神社】基本情報
| 公式 | こちら▶ |
| 所在地 | 福井県勝山市平泉寺町平泉寺56 |
| 問合せ | 0779-88-1591 |
| 参拝時間 | 自由参拝 |
| 拝観料 | 無料 |
| 駐車場 | 無料駐車場有り 環境維持協力金300円要 |
| 社務所 | 8時~16時(不定休) 御朱印・お札・御守りなど |
※撮影時の情報です
駐車場について(トイレ)

参拝者用駐車場は、三か所あります。無料ですが、環境維持協力金として300円かかります。
また、境内にトイレはありません。入口から一番奥の「三之宮」まで歩いて参拝すると、往復で1時間ほどかかります。途中にトイレはないため、あらかじめ駐車場の公衆トイレや、歴史探遊館まほろばにあるトイレなどで済ませてから入るのが安心です。
参拝のご注意
- 境内は石畳で段差の大きい階段があります。歩きやすい履物でご参拝下さい。また、雨の日は滑りやすくなっています。
- クマが出るようです。境内および南谷発掘地などを散策の方には、と之蔵案内所にて「くま鈴」の無料貸し出しがあります。
- 冬季(12月~3月)は積雪のため参拝出来ない場合があります。
- 夏場などは蚊などの虫刺されにご注意下さい。
【平泉寺白山神社】歴史と由来

1300年前の養老元年、泰澄大師が霊峰白山を開く際に創建されました。
大師が泉のほとりで祈ると女神が現れ、白山登頂へと導いたと伝わります。この伝説の泉「御手洗池」が、平泉寺という名の由来となりました。

平安時代以降は白山信仰の拠点として、巨大な宗教都市へ発展。全盛期には「六千坊」を擁し、多くの僧侶や修験者が集まりました。しかし天正2年、一向一揆の兵火により全山が焼失。その後、顕海僧正の手により豊臣秀吉の支援を受けて再興されました。
明治の神仏分離で神社となりましたが、中世の遺構は今も眠っています。現在は「国史跡」に指定され、往時の面影を静かに今に伝えています。
【平泉寺白山神社】ご祭神と御利益

平泉寺白山神社 のご祭神は、白山信仰の主神「伊弉冉尊」です。神話において、夫である伊弉諾尊との諍いを仲裁したというエピソードから、古くより強力な「縁結び」や「夫婦和合」の御利益があるとして親しまれてきました。
水の神である白山信仰の拠点として、命を育む「五穀豊穣」や「無病息災」を願う人々も絶えません。さらに、境内最奥に鎮座する「三之宮」は、特に「安産」や「子授け」の神様として知られています。
【平泉寺白山神社】境内散策

精進坂

かつてこの坂から先は、魚などの生ものの持ち込みが厳しく禁じられていました。煩悩を払い、身を清めて仏の道(菩提)を求める聖域であったことから、いつしか「精進坂」と呼ばれるようになったと伝えられています。
御手洗池

白山を開山した泰澄大師がこの地で修行中、泉に向かって祈りを捧げていると、一人の女神が現れました。女神は「私の本当の姿は白山の頂にある。早く登ってきなさい」と告げ、泰澄大師を白山へと導いたとされています。
女神が降り立ったとされる池の中央の岩は、現在も「影向岩」と呼ばれ、伝説の舞台として静かにその姿をとどめています。

境内の中はとても広く、同じような景色なので、道に迷う事もあります。何か所かに案内板がたっているので、目印にご利用下さい(^^♪
二の鳥居

参道に立つこの鳥居は、神道と仏教が融合していた時代の名残をとどめる「両部鳥居」という形式です。
かつての一向一揆により一度は消失しましたが、江戸時代の安永6年(1778年)に現在の姿へと再建されました。

中央に掲げられた扁額には「白山三所大権現」と記されています。これは中御門天皇の皇子であり、天台座主も務めた公遵法親王の筆によるものと伝えられる貴重なものです。鳥居の中央に小さな屋根がついているのは、この大切な額を雨風から護るため。
ちなみに「三所」とは、白山の主要な三峰(御前峰・大汝峰・別山)を指し、まさに白山信仰の拠点であることを象徴しています。
【平泉寺白山神社】社殿
拝殿

現在の拝殿は江戸時代に再建されたもので、「寄棟檜皮葺」という格式高い造が特徴です。正面の額には「中宮平泉寺」と記され、平安時代の風情を今に伝えています。

1574年の一向一揆で焼失する前の旧拝殿の規模は、幅は46間(約83メートル)もあり、京都の三十三間堂よりも巨大な建物でした。現在、拝殿の左右に点在する礎石が、当時の壮大なスケールを物語っています。

拝殿の中には福井藩主・松平家が奉納した十数面の絵馬が飾られています。多くが勝山市の文化財に指定され、最も古いものは慶長3年(1598年)の歴史ある逸品です。
本社(御前峰御本社)

平泉寺白山神社の中心となる御本社には、白山の主峰・御前峰(ごぜんがみね)の神である伊弉冊尊がお祀りされています。
現在の社殿は1795年(寛政7年)、第12代福井藩主・松平重富によって再建されたもの。

建物は総欅造りの風格ある佇まいで、外観は落ち着いた白木造りですが、内部には美しい彩色が施されています。
御本尊を中心に、右に「別山社」、左に「越南知社(おおなむちしゃ)」が配置されているのは、白山を構成する三つの山と神々を表現したものです。かつてはさらに二社が加わり、五つの社が整然と立ち並ぶ壮観な景色が広がっていました。

また、御本社の内扉は33年に一度だけ開かれる特別な「御開帳」が行われます。直近では2025年(令和7年)5月に御開帳を終えました。現在は再び大切に扉が閉じられ、静かな祈りの時を刻んでいます。

三之宮👏✨

三之宮社にお祀りされているのは、栲幡千々姫尊。古くから安産の神様として知られる女神様です。
こちらで参拝をすると「お産が軽くなる」という言い伝えがあり、今も多くの方が安産を願って足を運びます。お参りの帰りには、社務所で「腹帯」を授与していただくこともできます。
大切な新しい命を授かった方や、そのご家族にはぜひ訪れていただきたい、優しく温かな空気に満ちた聖域です。

※三之宮までは、足場が悪い所もあるので、その場合、御主人や親御さんが代わりに参拝してもご利益は授かれるそうです😊

神仏研究家・桜井識子さんのブログや著書でこちらの女神様について読み、「どうしてもお会いしたい!」という一心で、今回平泉寺白山神社を訪れました✨
泰澄大師がこの地で修行中、泉(御手洗池)に向かって祈りを捧げていると、一人の女神が現れました。女神は「私の本当の姿は白山の頂にある。早く登ってきなさい」と告げ、泰澄大師を白山へと導いたとされています。
この時、泰澄大師の前に現れた女神様こそが、現在「三之宮」にお祀りされている神様なのだそうです✨そんな由来を知ると、なおさら「お会いしたい!」という気持ちが強まりました😊
楠木正成の供養塔

かつてここには、三之宮の拝殿が建っていました。延元元年(1336年)、楠木正成の甥である恵秀律師がこの拝殿で勤行をしていると、目の前に甲冑姿の正成が現れたといいます。
不思議に思った律師が後に調べてみると、まさにその日、正成が「湊川の戦い」で戦死していたことが分かりました。
恵秀律師は、亡き叔父を偲んでこの地に供養の石塔を建立します。1574年(天正2年)の一向一揆により拝殿は焼失し、石塔も一部が欠損してしまいましたが、1668年(寛文8年)に福井藩主・松平光通によって補修が行われ、現在のように周囲に玉垣が設けられました。
【平泉寺白山神社】参拝を終えて

平泉寺白山神社での参拝は、神社にお参りをしたというより、静かな森の中に身を委ねる時間だったように感じます。
高くそびえ立つ木々と、一面の緑に包まれ、足音さえも吸い込まれていくような境内で過ごすひとときは、日常から少し離れた特別な時間でした。
三之宮では、念願だった女神さまにご挨拶をする事が出来たし、また季節を変えて訪れ、その時は、女神さまに和菓子をお供えしながら、もう一度この静けさに身を置いてみたい――そんな気持ちで境内を後にしました。
派手さはなくとも、長い信仰の積み重ねが静かに息づいている場所だからこそ、深く印象に残る参拝になったのだと思います。